2020年09月16日

気賀の町は、もう少し元気にならないかな。

こんにちは、大林です。

 ここ数日で窓から入る風がひんやりして秋の到来を感じます。長男も次男も共に一年生の学生生活が本格的に始まるようで、私の半年に渡る、落ち着かないソワソワ感も解消しそう。 梅雨も猛暑も過ぎて、いつの間にかもう秋ですよ(泣)。

 今日の話題は、私や子どもたちが小学校、中学校でお世話になった気賀の町の話題を。

 数年前のNHK大河ドラマ「おんな城主直虎」で、県外の観光バスが大挙して押し寄せたのですが、最近は今までの町に戻ってしまったように感じます。

 ここ数年、趣味のジョギングであちこちに出没している私ですが、実は車で行けないような小道を密かに観察しています。これが意外と面白い。気分はブラタモリ。

気賀の町は、もう少し元気にならないかな。


 気賀の町の子が小学校の通学路として使っていた道があったことを思い出し、この前ふと通ってみました。

小学校の時もすでに感じていましたが、「道、細っ!」。これは、もしかして誰かの私有地で慣習的に他人が通行しているだけで、ホントは通ってはダメなのでは?

気賀の町は、もう少し元気にならないかな。

48歳にもなり不法侵入でお叱りを受けてはいけませんので、少々不安になり、帰ってきて、浜松市の道路台帳で調べてみました。

「細江上町5-13号線」れっきとした公道でした。

ただ・・・最大幅員1.3m最小幅員1.3m。 これはアカンわ、と何故か関西弁。

 これでは建築基準法の接道義務を満たせません。だから街区の内側は接道が取れず、再建築が不可能となり、空き家→廃墟→解体の運命をたどります。 現に街区の内側はスカスカです。 また、防災上も非常に弱く、火災、倒壊の際には緊急車両が通ることが出来ず、被害が深刻化しがちとも言われています。

町に人が住まなければ、町は廃れる。 ワタシ、小学校も中学校も生徒会長でしたから、やはり子供がたくさんいた、あの頃の気賀の町の光景が脳裏にずっと刻まれています。

 接道している土地としていない土地をひとまとめとし、拠出分に応じて土地の権利を按分して共同建て替えをするなど、簡単では無さそうですが様々な手法があると聞きます。 

 と思って検索していると・・・

国土交通省から「密集市街地の建て替え促進に向けたガイドブックを改定」という興味深い通達も発見しました。
http://www.nilim.go.jp/lab/bcg/kisya/journal/kisya20190731.pdf

 現在のシャッター商店街から、若い世代が居着く町に変えていけないものかと思います。 

 私が小学生だった頃は生徒1000人、現在は600人、全国的な問題ではありますが、確実に気賀の町の若い世代は減っています。 昔は、通学区対抗リレーが小学校の運動会で行われていましたが、現在は子供が減りすぎて実施出来ずに中止になりました。

町を元気にするためには、町に住める受け皿を作る。

遠鉄バスも比較的本数が多い。本数はまばらですが、天竜浜名湖線も通っている。
東名高速、新東名に挟まれ、浜松いなさIC、浜松西IC、三ヶ日ICも近い。

自然に囲まれたこの町は、まだまだ化ける余地はありそう、いや化けて欲しいと感じています。 街歩きを兼ねた私のジョギングも継続し、ヒントを探してみます。

大林勇設計事務所



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Posted by 大林勇設計事務所 at 17:05 │共通

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